今年の木村伊兵衛賞について

木村伊兵衛賞

菊地智子「I and I

 

http://www.asahi.com/culture/articles/TKY201302070789.html

 

 

 2012年度の木村伊兵衛賞は2人。その内の一人が菊地智子だ。12月に東京都写真美術館で「この世界とわたしのどこか 日本の新進作家vol.11」展で菊地智子のこの受賞作品を見た。このグループ展の中で、彼女の作品が一番印象的だった。その作品が木村伊兵衛賞を得た。

 中国で性同一性障害のクイーンたちの姿を追ったものだ。ヒリヒリするようなクイーンたちの表情。菊地はアサヒカメラに次のように書いている。

 

「違った時代や社会背景において、誰もがそれぞれ異なる制約や圧力を受けて生きている。クイーン達は自らの生き方を通し、私たちが本当に立ち向かわなければならないのは、外からの圧力ではなく、結局は自分自身なのだということを示唆してくれた。周囲に惑わされることなく、自分を偽らずに正直に生きること。どんな状況でも自分を受け入れ、信じること。孤独や、暗闇から逃げずに、じっと目を凝らして見つめること。『彼女たち』の生き方は、何を信じて良いかわからない、いまの時代に対するメッセージでもある」

 

 自分らしく生きようとすることは、こんなにも戦いの連続なのかと作品を見ていて、感じるとともに、何か勇気づけられる。ジェンダーの枠とか、社会常識とかからだけでなく、生物学的な枠からさえ、逸脱してでも自分らしくあろうとする姿。菊地自身が撮りながら救いを感じていたのもわかる気がする。

 写真とは何か。

 同じく「日本の新進作家」展で展示されていたのは、現代アート的アプローチの作品が多く、コンセプトを見てはじめてその意味がわかり、写真を改めて見るとその面白さがわかる、といった種類のものだ。しかし、菊地の作品は、コンセプトとかよりも、まず写真が迫ってきた。クイーン達の体温や匂いさえ感じさせるような迫力があった。現代アートではない、「写真」なのである。言葉がなくても伝わるものがある。クイーン達の悩み、苦しみ、嫉妬、羨望、真摯さ、純粋さ、何よりも彼女達の生きている実感のようなものが伝わってくる。現代アートの面で写真が注目されるようになってきており、ドキュメンタリー的写真も、コンセプトありきのソフィスティケイトされた謎かけのような写真が多くなって来ている中、木村伊兵衛賞は「これこそが写真だ!」「これこそが写真家のあるべきスタンスだ!」と言っているかのようだ。菊地智子のスタンスは、クイーン達と同様に「腹をくくってる」感がある。

 

 写真はデジタルカメラで誰でも簡単に撮れるようになって、スマートフォンのアプリでアートっぽい作品を作ることだって簡単だ。写真においては特にこの傾向が強い。そこでの創作は「遊び」なのだが、芸術は誰にでも作り、参加し、発表できるものになった。

 一方で、そのことが芸術を薄っぺらなものにしてまうのではないかという危惧を持つ人もある。木村伊兵衛賞の今回の選定は、そういった危惧から、もう一度写真の原点を見つめようとしたものともとれる。

 

 自分は写真を撮る者として、菊地智子のように腹がくくれているかと自問したのだった。

 

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コメント: 2
  • #1

    sex telefony (水曜日, 01 11月 2017 00:02)

    pozamawiać

  • #2

    sek stel (金曜日, 03 11月 2017 21:30)

    zasuwając